真夜中こっそりパンを焼く
あの日からこぼれ落ちた思い・日々を                                            ブログに綴ります。どうぞご覧ください。                                       こば きょうこ
***第2作できました***

「やってごらん#1.recipe&essay」
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著書・著者紹介

こば きょうこ

Author:こば きょうこ
「真夜中こっそりパンを焼く
recipe&essay」2006年2月発刊
分は2007年2月をもって完売しま
した。ありがとうございました。

2001年より製パン講師として
"パン工房Bread Basket"主宰。
自宅&出張講習・企画・試作等
承ります。下記お問合せフォーム
よりご連絡ください。
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ください(携帯はご遠慮下さい)。
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ください。(こちらの返信を受け
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お詫びと訂正

**本をお買上下さった皆様へ**
この度はありがとうございました。 P14-6.で
『180℃で見つめること15分』
という記載が漏れておりました。
ここに訂正しお詫び申し上げます。

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パオ
冬場は、湯気をみるとほっとする。
入れたての紅茶、柚子のお風呂、鍋の夕食。

そんなわけで今月の講習は蒸し物。オーブンがなくても
手作りできますよ、というメニューを提案したくて、
パンの本に入れるべきか迷ったが、季節も感じられるし
おうち手作りにはもってこいだから、いいやね、と。

捏ね上げた生地は、とにかくパンよりうんと硬いので、
「大丈夫かー?」という空気が、一次発酵後まで漂う。
いいんです、いいんですよ、これで。
ほとんど変化がないように見えて、出来上がれば、ほらね。
ちゃんと成長してたでしょ?あなたが作ったんだもん、大丈夫。
pao

パオ・あんまんはまだいいが、肉まんになると、これが
なかなか包みにくい。つまんだはずのとじ目がくっつかない。
コツはいろいろあるのだが、まあとにかくやってみるべし。
花開く肉まんも、また愛嬌たっぷりでいいじゃないか。
パオピンには豚だけじゃなく、お惣菜系何でもはさんで
召し上がってほしい。
我が家風中華バーガー、スマイル0円なり。
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Jr.お菓子の講座
子供たちの作品2.jpg

昨年、地元で受け持ったJr.お菓子講座(小学高学年)の一環で、
春に発表会があった。
市販のお菓子を使って、「可笑しなお菓子ワールド」を展示した。
本当は素材から作れればよかったのだが、組み立てだけで4時間。
最後には「足がボーやん~!」と疲れ果てていたけど、
みんな、よくあれだけ集中してがんばったよね、えらいぞ!
子供たちの作品.jpg

当初は、初めて子供だけの講座をもって、改めて子供たちの
体験不足を目の当たりにし、とまどったものだったが・・。
へらの持ち方=鉛筆もち
洗い物の仕方=流れないほど泡だらけ
ガスの点火=怖がって触れない
缶きり=てこの原理がわからない(今はパッ缶式だから、だって)
何よりも、黙って来て黙って帰る
それはないだろ。お前ら何年生だよー…。
(まさに学校は地域の縮図だ。)

でも、私は学校の先生ではない。これは授業でもない。
私は親じゃない。
気になる諸々をかみ殺して、まずは興味を引き出そうと、
やたらテンションがあがる。
側に行って一人一人、目を見て話をする。
個性は違っても、みんな目の前のお菓子に夢中だ。
最後に「これだけは守ってね」という約束をして解散。
いつもより疲れた。大丈夫かな?あたしのやり方。

でも最後のアンケートには、うれしい言葉がいっぱいだった。
「おいしかった、また作りたい」「みんなで作って楽しかった」
「いろいろなことを教えてくれた」「家でもまた作ろうと思った」
「Jr.お菓子講座にきてよかった」「わからないことを教えてくれた」
「先生の言ったことはお菓子以外でも役にたった」
「先生にほめられてとてもうれしかった。」
「私もお菓子を作るとき食べるときはおかしく笑いたい」
・・先生なんて呼ぶなよ。
こっちこそ教わること、いっぱいだったんだから。

改めて思い直す。
子は親の鏡。大人の鑑。反省しよう。
さくら
「真夜中・・」をご覧の方はご存知かと思います、
これ「さくら」。
sakuraan

今日は粒あんも自家製、くるみを半割でトッピした。
あんことくるみって絶妙の相性で、大好き。
土鍋で作った小倉あん、ほんとにほっくりと豆々しい
仕上がりだ。かなりアバウトにきび砂糖も減らしたので
豆の甘味を覆われることもなく、これはいいのができた。
しかも手間なし。日本のパン、万歳☆やね。

その昔仕事していたパン屋では、冬はとにかくパンが売れた。
そして、中年男性はとにかくあんぱんが好きだ。
買い方もはっきりしていて、他のパンには目もくれず
一人で全部食べんよね?って数を1点買いだ。
なんか、頑なまでのその好みが、
微笑ましくもあり、畏れ多くもあり・・
何かしら昔の思い出でも、あるんだろうか?
「ありがとうございました~」といいつつ
その背中、見送る。
カノヤード
本が書店に並んでしばらくした頃、深夜に電話が一本鳴った。
近く、自宅ショップを開業し手作り石鹸と雑貨を取り扱われ
るご予定だという。どこかで私の本を手にとって下さって、
なんと「ぜひお店で取り扱わせてほしい」と・・。
身に余る程、ありがたいお話。

製作の時のジレンマ、焦り、
行商よろしくお店を回っていた時の不安と疲れ、
…決して嬉しいことばかりではなかった
「本を作る」「本を売る」という仕事。
そんな苦労も痛みも全部救われたような、
「いいんですよ、これで」と言ってもらえたような、安堵感。

kanoyard

日にちを改め、
蓬のベーグルと共にお店まで本をお届けにあがる。
耳納山麓のふもとの、ゆっくりした空気が流れる果樹園の中に、
モダンで素敵なお家が現れる。
柴犬の"綱くん"が落ち着いた眼差しで迎えてくれる。
「いいなあー、こんなおうち・・」きっと誰もが思う。

がさがさと過ごしてきた数ヶ月を経て、
今日やっと休んだような、ほっとした気持ちになる。
なんとも言えぬ、この落ち着く空気はなんだろう?
好きなものに囲まれたお店で、
笑顔で自分の楽しみを惜しみなく分けている。
だから来た人みんな、幸せな気持ちになる。
そんな感じ。
Tsan

その後、月1青空カフェなど楽しいイベントも開催され
あっという間に土地の顔となっている。
本も少しずつ減ってくれている。

頂いた手作り石鹸はなんともやわらかい泡立ちで、
洗ったあとにこんなに肌がやわらかくなる石鹸って
初めてだ。「石鹸って本当はこんなやさしいもの」
とTさんが笑ってくれてるような。
何せ、原料すべて食べ物からできているというのが
食いしん坊の私にとってまたうれしい。
(いやいや、食べませんけどね。でもおいしそう!)
石鹸ひとつで、朝も夕も洗面所に立つのが楽しくなる。
私も教室で取り扱わせていただくことになった。
(現在はリピータ続出で注文待ちになっている。)
sekken

幸せなご縁だなあ。これからもずっとこのご縁、
大事にしたい。
(カノヤードのHPはこちらへ)
http://kanoyard.com/

プロ
「好きな事でメシが食える」人をみると
その精神衛生度にあこがれる。
それが時間的にハードでタイトでも、
傍目には生活が大変そうでも、
当のご本人は、毎日に迷いがなくて、
いきいき・のびのびと、くらしている。(ように見える)

「"好き"を仕事に!それが人生の幸せ」
母から言われ続けた言葉だったが
幼いころの自分にとっては、プレッシャーでしかなかった。
好きなことはどれも=稼ぐことにつながらなかったし
好きなことはいくつかあってこれからもっと増えそうだったし
好きなことが考えるほどわからなくなってしまいそうだった。

今は、それの厳しさ・楽しさを実感しながら、
最初から迷いなく一つの道を進んでこれた人を、羨ましいと思う。
自分もまた、ようやく道が見つかったんだなぁ、と思う。

決心しなきゃいけない歳になったのかも、と時々思う。
酵母
家では酵母を飼っている。自家製を4代継ぎ足して5年ものになった。

基本はレーズン種を起こしてつないでいる。
それに小麦種が加わった。浄水通りのレスト・池田さん
(ムーミンカフェやオーバカナルの仕掛人)から分けていただいた、
ヨーグルトのような香りがする30gほどの元種をつなぎつないで、
もう1年。
さらに半年前から焼酎酵母を使い出して、パンがソフトになり
日持ちもよくなった。焼いてなお生き続ける菌の力はすごい。

酵母パンは「作る」というより、まさしく「育てる」という表現が
ぴったり。
酵母は生きて成長している。顔手足はなくともちゃんと反応する。
しかもその経過はのんびりゆっくり、かつ結果はストレート。
飼い主がやらかしたように育ってしまう。
それ以上でもそれ以下でもない、そのまんま。

仕事のパンは時間や費用が決められていて、「のんびり」とは
できない事情があるけれど、それでもやりたいというパン屋さんが
ここ最近増えた。うれしいことじゃないか。
しかもおいしい店も増えている。ありがたいじゃないか。

自分で酵母を起して育てて、それで味のあるパンが焼けるように
なってようやく、本当にパンのことがひとつひとつ、手に感じ取れる
ようになってきた。
技術でも言葉でもなく、酵母自体が私の手に、五感に、伝えてくるのだ。
パンの真髄、ここにありって感じ。

まさに、子育ての縮図。自分の鏡。
koubo

(写真は3年前に起こした、レーズンと摘みたて苺(1週目)。
まるで酒作り。だが苺の種はフレッシュさ命だから、つなぐのには
向かなかった。)

うちの朝ごはん
「毎朝焼きたてのパンを召し上がるんですか?」
これもよく聞かれることだが、半分はい、で半分いいえ。
自宅用は、いつからか自家製酵母のパン。
週1,2回まとめ焼きをする。レーズンと小麦の発酵種を
使うが、ここ半年はこれに焼酎酵母も混ぜている。
酵母パンは日持ちがいいから、冷凍保存もしない。
冷凍庫のスペースも助かる。
何より美味しく、しっかり噛めて、腹持ちがいい。

おかずは野菜スープ。温かくなるものをおかずにする。
以前は牛乳・ヨーグルト・野菜ジュース・目玉焼きなども
必要だと思い込んで食べ合わせていたが、すべてやめて
今のようなシンプルな朝ごはんにしたら、息子の青っぱなが
治まった。(体にとって冷たい朝ごはんばっかりだったんだな)
根菜のスープ・葱のスープ・コーンスープ・かぼちゃのスープ
どれも刻んで煮込んで塩で味付け、ごくごくシンプルな作り方。
かぼちゃや根菜は父が実家の菜園で作ってくれた野菜を皮ごと
ゆでてそのまま食べる。ポタージュ系も乳製品は使わない。
簡単なスープも週1,2回作り置き。
切らしたときは、ゆうべの味噌汁ということも。
(酵母パンなら、味噌汁もあうんだな、これが。)

何よりとにかく、朝は必ずたべる。一口でも食べさせる。
最初の燃料を充填しとかないと、エンジンがかからない。
酵母のカンパーニュ生地に有機シリアルを貼り付けて、
丸パンのまま焼いたら、いいかんじの噴火口がまるで
クープのように入っちゃって、こりゃおいしそう!
さっそく明日の朝ごはんにカボチャスープとともに
いただきまーす。

酵母プチ・カボチャスープ

どんなにおいしい卵でも
その殻を割らなければ
中身は味わえない。

みずみずしい目玉焼き。
職人気質なゆで卵。
変幻自在のスクランブル。
芸術的な花開くオムレツ。

生の白みも黄みも、いろんな夢を持って
さあ何になろうかなと、殻が割れるのを待っているのに
いつまでもその殻を破らなかったら、
夢も中身も腐ってしまう。

そうだ、私も生の人間じゃないか。

kara2

(菊地の爛々卵・らんらんらん という卵。母の
ご友人からの贈物で、カステラ焼いたら美味しかった!)

種まき
好きなことだけが生きる全てだった10代
先のことは考えず、がむしゃらに
種を拾い集めた20代
その種から出てきた芽を見て「これは何?」
と、育て始めた30代。
自分という畑に、何を育てていきたいのか、
はっきりと掴めないまま、ばらばらに生い茂るものを
少しずつ間引き始めた、今現在。

間引くときは名残惜しく思えても、
枯れたものが土に帰り、土を作り、
いづれ生い茂る一本の根を支え、
養分になって再び生きていることに気づき始めた。

いろいろ考えて取捨選択したつもりでも、
結局自分は自分でしかなく、全てが巡り巡って
私を支える土壌になっているんだなと、
感謝できるのはいつだろう?

hanahana

(このエッセイは、本が出来てからのほうがリアルに感じられる
ようになった。というのも昨年は「初めての稲作」を体験し、今
その玄米を毎日いただいているからだ。田んぼのこともこれから
綴っていきたい。)
JCのお菓子
ちょうど3年程前、現在福岡・薬院にある、「オ・デリス」の
フランス人パティシエ ジャン・クリストフ氏の講座で
ビスキュイと苺ムースのケーキを作った。

JC

ホールのケーキなんてめったに作らない私だが、
その時J.Cは、メレンゲの基礎の「き」 から、とても丁寧に
教えてくださった。ブルーグレーの瞳に吸い込まれそう。
それまで「こんなもんかな、こんなもんでしょ」程度に作っていた
メレンゲが、これは純生みたいな仕上がりで、感激。

素材や工程一つ一つにこだわりを持って丁寧に取り組む。
どの仕事でも本物の「プロ」は同じ姿勢で仕事に取り組む。
そして、決して力を出し惜しみしない。
そういう姿に、やっぱり皆の心が揺さぶられるんだな。

オ・デリスのケーキは、「大人のおやつ」という感じで
苺なら苺、ビターチョコならビター、コーヒーならコーヒーと、
素材の味がストレート直球で味わえる、食べる芸術品。
夏のシャンパンゼリーは、食べて酔っ払うという不思議な体験
をしたくらい直球ストレート。テラスにカフェテーブルもあり
表ですぐに食べられる。息子はここのシュークリームが
いたくお気に入りだ。(なかなか鋭い味覚を持っている)

奥様タキコさんのご厚意で、昨年いっぱいお店に「真夜中・・」
を置いて下さった。お蔭様でたくさん売れて、感謝です!

オ・デリス(Aux Delices)
福岡市中央区薬院1-16-5-1F
092-731-3110 P有
10~20時 毎月曜日店休
http://aux-delices.jp
フィグのカンパーニュ
いちじくを練りこんだ自家製酵母のパンを焼いた。
(うち用はほとんど酵母のパン)
ほったらかしすぎて、お世話してなかったにもかかわらず
すねて酸っぱくなることもなく、うるわしい焼き上がり。
ちょっとずつでも、えさをあげててよかった・・。
大事な元種だ、また一気にリフレッシュしておこう。
生き物は世話を焼かねば。パンも焼かねば。
fig o ruvin1


宝物
te

本の撮影のときのこと。
「何か大事にしている物、ある?」と聞かれて
私は情けなくも「え、なんだっけ?」と、
とっさに答えられなかった。

もの・だよね、
ジャックマイヨールのポストカード
パンの道具
写真もろもろ
自分のご褒美に買った時計・・いやいや
パンに関わる物じゃなきゃ、
あーもう、パン作ってるときにいきなり聞かれたら
迷うだろー?

いくつかあれこれ探して
「ちがう、ちがう」と心で思いつつ
 は、そうだ。「手」と答えた。
(またふ抜けたことを・・と目で返される。)
この手、わりと小器用で、
わがままな私の思い通りに働いてくれて、
時々別の生き物のように見えるときがある。
(撮影のあと、2回ほど傷が残るような怪我をして、
今はもう、あのときの手ではなくなってしまったのだが。)

takaramono

そうだよ、20代にはこの手と常に共にあった、
Moonのジャズベ。(ピック使えません)
バイトして切り詰めてようやく手に入れて、
重たくてお荷物で分不相応だと言われ、
でもこれが当時の私の存在を肯定してくれた、私の宝物。
クサクサに言えば、セーシュンの思い出ってやつ。
あの時があったから今もある。のに
仕事にかまけて今ごろ思い出してる、
ごめんよー・・

でも今は即答で「息子です」。
(ものじゃないでしょ、とか野暮はいわない。)
いや、ちがうな、「子供たちです」
これです。

おにぎり
onigiri

(今年初めて自分で収穫した、棚田の無農薬玄米+赤米。
 セラミック小櫃で炊くとプチプチして美味しい。)


「おにぎりは作った人の思いが表れるよな。」
亡き友が学生のころ残した言葉。確かにね。

ぎゅーって握られたおにぎりには
「少しでもたくさん食べて元気つけろ」
って気持ちがこもってるし
ふっくらとできたてのおにぎりに
パリパリの海苔が巻かれて、差し出されると
「一番おいしいのを召し上がれ」
ってもてなされたようで、うれしい。

彼はちょっと変わっていたが、そういう感覚が敏感だった。
時に過敏なくらいだったから、世間に傷つきやすく
人々の無神経な言動に突然、激したりするやつだった。
(私もよく激された)

型抜きで均一に、手を汚さず作ったおにぎりを手にとった時、
持てないほどもろくて崩れてしまったり
毎日の惰性で作ったおにぎりが、お弁当の隅でプレスされて
いたり、「食えればいいじゃん」とは思うけど
ぱっと開けたときに「あーあ・・」と思うようなものを
作る女ではいかんな、と思う今日この頃。

食べ残しを「おにぎりにしてー」とせがむ息子に
ちんまりと優しさを一握り。
クープ10年・・?
と、言ってもパン作ってまだ10年も経ないやつが
こんなこという資格もないんだが・・。
以前、ある先生からいわれたお言葉だが、パン屋では
そんなにかかったら仕事にならんでしょ!と笑われた。
(伸ばし10年、麺棒10年ともいわれたっけ・・。
その講習会でのパン作りは桃栗超えて、梨並ってことか?)

その昔、パン屋さんで最後に作らせていただいたバゲット 。
大好きだった仕事を辞めなきゃならなくなって、
「その前にどうか1回バゲットを作らせてください、
作った分は 買い取るので」
というパートごときのわがままを聞いてくださった Iさん、
今でもご一緒にお仕事できたこと、ほんとに感謝してます。
1作目はクープの長さが違い、
2作目はクープがねじれて 途中から横向のバゲットになり、
3作目はどこか1つ閉じたままだったり。
ようやく形になったバゲットを、仕事が終わって
更衣室で パチリ。(畳背景なのはそのせい)
Iさんが片目つぶってやってるように見えたその作業も、
「ほんとは話し掛けないでほしい」
という位集中してたことなど、露知らずだった私。

bagget3

先日の講習で「クープが難しいから、プチは作ってない」との
感想をいただき、私の中では一番簡単に作れるメニューだったので
ちとショックを受けつつ、「練習練習!」と書き添えながら、
かつての自分を思い出した。

こればっかりは理屈抜きで、手の感覚が覚えないと説明できない。
生地のはり・ゆるみとか、発酵の勢いとかパンのメとか、
刃が触ったとき、手が無意識に反応してスーッと引いてくれないと。
やり直しが効かないから、その時は無心でないといけないし、
パンが長ければ長いほど難しい。でもやればできる。

クープがちゃんと割れるためには、蒸気や釜の温度、下火の効かせ方
も大事。(売れるパン屋にはフランスパン専用釜がある程なんだから。)
結局パン作りは始めから終わりまで、ちゃんとつながって初めて、
1つのパンがちゃんとできるってことだね。
フランスパン侮れず!
(その夜、この1本を難なく平らげる・・。出来たて命!だもん。)
ハニー
(このエッセイ、編集のぎりぎりまで「載せる?載せない?」と悩まされた
1編だったが、ページ数によりあえなく次点に。ここに昇華させたい。)

ハニーを作ったときは質問攻めにあった。
初めての中種法、各々の持ってるケースの火通りの違いなど
かつて私が繰り返した失敗のときの「?」がそのまま質問になっていた
から、応えるのもそのまま体験談だった。

1ヶ月後、その中のお一人から電話がかかってきた。
「家で10回焼いて、ようやく言ってたことがわかってきました。
ああ、これなんだ!って。」
その場で手を取り合いたくなる位、嬉しくなったのを思い出す。

パンの扱い方や成形といった、表の器用さだけではなく、技のこなし方
でもなく、生きたパン生地と向き合って、同じ事を繰り返す。
ひとつひとつ丁寧に組み合って、感じ取ると見えてくる、
そういうパン作りの世界に一人一人と、つたなくもガイドできた
充実感、連帯感は、何物にも代え難い。

「百聞は一見にしかず」と言うなら、パンは「百見は一験にしかず。
ピアノの練習と一緒。いくら頭で解ろうとしても、手が動かないと
作れない。感覚が利かないと感じ取れない。
そのために繰り返し、ひたすら触って感じる。

同じ事の繰り返しは、漠然とやっていても面白くはないかもしれない。
でも、何かを捉えようと五感を研ぎ澄ましてみていると、
それまで見逃していたものに「はっ」と気づくときがある。
そのとき、何か新しい感覚が自分の中に生まれる気がする。

hanny

(ケータイからUPしてみた。ちょっと上火が強かったかな?
でも焼き上がりのハチミツの香りが、とにかくたまんない。
翌朝、息子は一山食べて行った。おいおい・・
カット面のちょっと剥れてるのは、私のつまみ食い。血は争えん・・)

出来
(このエッセイも、内容が重なるのとページ不足で選外になった1編。
ありがたくも「もっとエッセイ読みたい」とご感想を下さった皆様に
お届けします。)

「何度で何分焼けば、うちでも上手くできるのでしょうか?」
「家では思うようにはかどらず、失敗してしまいます。」
「一度にたくさん焼きたいのですが、うまくできません。」
今日はこんな感想が多かったなあ。

家で作るパンが、パン屋の棚に並ぶのみたいに全部見目麗しく、
上手に出来なくてもいいと思う。
作るパンが、日々思うように出来たり出来なかったり、味が
違ってたりして当たり前だと思う。

今の日本、世界中の食べ物を口にできるようになって、
パンの業界も急速にレベルアップして、それが当然のようになった。
仕事のパンはそれでいい。それがいい。

でも家で作るパンは、
膨らみや形がわるかったり、焼き方があまかったりしても、
そばで作る姿を見て、作ってる思いも丸ごと食べられるのが、
何よりの「美味しさ」じゃないのかな。
結果だけじゃなく、作る過程から存分に味わえるから
「おいしい!」んじゃないのかな。
「いただきます」って言葉が、そこに自然に生まれるんじゃないのかな。
なんかそう思うんだけど・・。

「お家でパン作り始めて、好きな時に好きなパンが自分の手で作れて、
家族や友達と食べられるって、なんて贅沢な事だろうと、はじめて
思いました。」
こんな感想を頂いたことがある。この上なく嬉しかった。
(今でも大事にとってある。)

一度にたくさん作るのも、常に完成度の高いパンが並ぶのも
「売るパン」になるために必要な事だ。
家庭には家庭サイズのパンの量・作り方があって、
それに辿り着いたのが、このレシピなのだ。
1℃・1分をぎすぎす守って作らなくていい。
発酵具合が変っても、それでパンの声が聞けるようになれば
それでいい。
ちょっと色黒に焼きあがっても、
それで我家のオーブンの癖がわかれば、それでいい。
自分サイズで作り始めたら、パンはもっと楽しく奥深くなって
きっとやめられないものになる。
そう思う。
やさしい人々
「この本のこと、まず広く人々に知ってもらうために
どうしたらいいんだろうか?」
本が発売された当初、自ら引き取った数百冊を目の前に
して、思ったこと。
予算も使い果たし、HPも立ち上げてなかった私は、ただただ
考える時間も惜しく、足でかせぐしか能がなかった。

周りから「こうすれば」「ああすれば」と、ありがたい助言を
いただくのだが、日々の生活にぐっとしわ寄せがくると、
考える頭も固く・狭くなってくる。
「無理してない?」「がんばりすぎよ」と、気遣ってくれる言葉も
何とか立ち回ろうとしている私の膝を、カックンとされてる気が
するようになる。「今が一番大事なとき!」と、振り切ってしまう。

幸い、飛び込みでもいくつかのお店で快く取り扱って下さって、
「もしかしたら大丈夫かも」と、不安が手ごたえに変わってきた頃
1本の電話をいただいた。カフェブームが起こる前からの老舗の
カフェのオーナーの方からだった。

本を置いていただいたお礼を、少しでも早くと思い、FAXでお送り
したのだが、それがいけなかったようだ。
さらにもう一つ、別のお店をご紹介くださったので、善は急げと、
紹介を盾に、面識のないカフェにまた飛び込みで本を持ち込んだ。
それを聞かれたオーナーの方は、
「そんな売り方をしてはいけない、人を見られるよ。」
と、私を心配してくださった。

「私がこんなことを言うのもおこがましいのですが・・」
という前置きをされて
「どんなにえらい人でも、どんなにすばらしい本を書いても
そういうのがおそろかになっては、私いけないと思うんです・・」
…ああ、こんなこと言わせてごめんなさい、
本当に申し訳なく情けない気持ちいっぱいになって、
ただひたすら謝ることしかできない自分がまた、口惜しい。

「私たちも同じような失敗を繰り返してきました。教えてくれた方々
がいたから、今の自分があるんです。わかってくださってうれしい
です。わからない人もいますから。応援してますよ」
・・赤の他人なのに、言いたくない大事なことを教えてくださった。
そして口調はあくまで穏やかで、丁寧だった。
ありがたさと情けなさがあふれてきて
受話器を置いて、泣いた。泣きふせた。
毎日が忙しいだろうに、本当のやさしさを持つ人々だった。
いつか、こんな方々のお店に似合うような人になれたら
改めてご挨拶に伺おう、お陰様でありがとうございました、と。

自分に追いまわされていたことにようやく気づいた。
「皆に買ってもらわなくてもいいじゃないか。残ったら
全部大事に、棺おけまでもっていけばいいじゃないか。」
そうこうしていたら、別のお店から
「全部売れましたよ、またどうぞ」というご連絡をいただいた。

そもそも2000の人と、同じ思いで繋がれたらと思って
作った本だ。何を焦ることもなかったんだ。

結局私、いつもぐるぐると同じところを回っていて
迷い込んで、落ち込んで、原点に立ち戻される人生だなあ。
心底アホだなあと、思う。
お花見
hanami


昨年の春はとにかく忙殺されて
「私に春はこないかも・・」なんて思っていた。
が、久山の自然食レストランにお届けものをした帰り道、
山桜のトンネルがあまりにきれいで
川のせせらぎが余りに心地よかったので
急きょ息子と花見をすることにした。

近くでパンを買ってお弁当代わりに。
彼が選んだソーセージパンの赤が毒々しいなあと思いつつ、
かぶりつく息子の笑顔を見たら、「まあ、いいか」と、
美しい桜のおかげで、私のきっつい顔もすこしほころんだ?
(それは息子にきいてみよ。)

久しぶりに滑り台にのぼって、しゅーっと滑っていい気持ち。
こんな時間を忘れてたなあ。
仕方がないといえばそれまでだが

「時間は自分で作るもの」

もっとできるやり方は、きっとあるっちゃんね。
今年もまた行こう♪
ちなみに翌日から大嵐。花チラシの雨って言うらしい。
整頓
(これも「パンの話じゃないから」と、本から洩れたエッセイ。
 真夜中って、こんなことを思い巡らす時間なんだが・・)

ここ数ヶ月、いっぺんにいろいろなことを
「片付ける」機会が来た。
衣更え・子供の入学・新しい仕事・・・
それが反射して、家族のあり方がまた変化して・・。

母親になったばかりの頃の私は「まかぬ種は生えぬ」とばかりに、
何でも勉強・何でもチャレンジを押し通していた。
2年で部屋もわたしもパンク寸前になった。
混沌とした生活を広げなおして、ひとつづつ、これどうする?
と問い掛ける。
そんな問い直しの日々、自分を整理していく日々の中で
パンに出会い、人に出会った。
パンを軸に回転し始めたら、
振り切れるもの・残るものがはっきりしてきた。

必要だ、と思い込んでいる余計なものを削ぎ落として
残った軸が見えたとき、迷いが消える。
時々、遅くなったり止まったり、ゆらゆらしたり、反転したり。
でも、回転し続けてさえいれば、思い続けてさえいけば、
中心がぶれることはないんじゃないかな。

見えなくなったらまず、身の回りを整える。
今も少しずつ、整わない自分を整頓している最中だ。
seiton_pan


手作り
(このエッセイも、伝えたかった人がいて、ページが許せば
載せたかったひとつだが、「パンじゃなくて生き方論みたいに
なっている、あなたの生き方論はいらない」と一蹴。キビシー!)

ブレッドメーカー・炊飯器・電子レンジ・・
朝な夕なに、時間に追われる現代社会では、
パンを焼く時間そのものが贅沢なのかもしれない。
「手軽で簡単、早く失敗なく、おいしく出来ること」
自分の講座でもこんなことを、よくリクエストされる。

例えば、家電を応用するその発見はすごいと思うし、
確かに手軽で便利だ。
でも、そのあともうちょっとの時間、あともう一手間を
省いちゃったら…
「もったいないなあー、」と私は感じてしまう。
なぜなら「あとちょっと」に、手作りの面白さとおいしさが
詰まっているからだ。
たかがパン、されどパン、
遡れば紀元前から、パン各々に歴史と個性・地域性があり、
本来同じ方法であのパンもこのパンも、は作れない。

かつて母親1年生のころは、あれもこれもと育児書を
読みまくり、いろんな情報をかき集めていた。
「子育てはこうやったほうがいい」「こうやるとうまくいく」
が、いつのまにか自分の中で「こうしなければうまくいかない」
に変換され、未熟な自分と小さな息子を、知らず知らずに
合いもしない窮屈な型に押し込めて、もがいてた。

そのパンも、その子も、みんな同じやり方では「らしさ」は育たない。
仮に、その場では収まりよく出来上がったとして
果たしてその中身はいかに?それらしく味が出て輝いている?

その輝きを引き出すための「あとちょっと」なら、
私は極力手間をかけたい。全部は無理でも
せめて、パンと子育てに関しては。

kona

ステキな贈り物
「真夜中・・」のessay『職人』のモデル(私が勝手にしちゃった
のだが)の方から、息子の進級お祝いにケーキを頂いた。
将棋に目覚めた息子のために、こんなonlyoneな贈り物を頂戴して、
あまりの有難さに、私まで息子と小躍りした。
出版の時も自分のことのように喜んでくださって、
バラのケーキを贈ってくださった。身に余りすぎる。

ousyocake     baracake

結婚式の時にクロカンブッシュをお願いしてからのご縁だが
初対面の私たちに、カスタードの基本の大切さを熱く語って
快く引き受けてくださったのを、今でもよく覚えている。
(それまで「崩れやすい・忙しい・持込ご免」と3店舗ほど
転々と回ってはお断りされ、あきらめかけてここに来たら・・だもん。)

本当に稲穂のように、たわわな経験と技術が実っておられながら、
謙虚でお優しい方だ。(でもご自分と仕事の姿勢には無論厳しい)

「息子さんの心に何か残れば幸いです」というお言葉を添えて
頂いたのを目にし、改めて目頭が熱くなった。

カスタードと生クリームとふわふわのジェノワーズに
真っ赤な新鮮苺がいっぱい。
そこに込められた気持ちもいっぱい。
私たちのお腹も心もいっぱい。
王将ケーキにバラのケーキ、私たちの思い出に残る贈り物。
ありがとうございます。ご馳走様でした。
出会う場所
昨年の2月に発刊された「真夜中・・」、そして
ブログを開設しておきながら、引越し後まったく手付かず・・。
そうこうしてる間に1年が経とうとしてる。
やばい、歳をとるのが確実にスピードアップしてる!

今年は(も?)暖冬だが、昨年の2、3月は
毎日行商人よろしく、本を持ち歩いていた。
寒くて重くて足もパンパンになって、結局軽くならなかった
本を持ち帰る帰りのバスの中で、
「私ってパン作る人?それとも本の売人?」
と自問自答をくりかえしたりして。

そういう日々が続いていたある日、
(残念ながら、昨年末閉店してしまったのですが)
警固町の喫茶店「フルフル」を訪ねて、本を置いて下さるか
お尋ねしていた。それをカウンター越しにご覧になっていた方に
一部始終をブログにご紹介される、という不思議なご縁に恵まれた。
現在もブログを通じてご交流くださっている。
(しばらくご無沙汰して大変失礼いたしました。)
一部始終の様子はこちら↓
http://kamie.exblog.jp/m2006-02-01/#799427

そもそも「フルフル」は前々から行きたくて、飛び込みしたお店
だったのだが、まさにその現場でもうひとつ、以前お菓子を教えて
下さったJCのお店「オ・デリス」の奥様、タキコさんにばったり
お目にかかり、本を御紹介して頂いた場所。
縁が繋がる場所って、なんかあるんだなあ。不思議・不思議。
このお店の木の質感がとても好きだった。内装も全て手作りだ とか。
いつかこんなおうちに住みたいなあ~。
(ごめんなさい、撮ってた画像が見つからず・・)

まさに本が繋いだこの出会い、これからも大切にしていきたい。

ジャパン?号BY息子
昨年冬休みに息子が焼いた 「焼きたて○パン」、
皆様もご存知かと思います。
講習の時にメンバーの方が貸してくれた漫画の単行本に
真っ先に飛びついたのは息子。
「僕もじゃぱん作りたい!」
という彼の意向を尊重し、冬休みの宿題にもなるし
私が酵母を焼くついでに一緒に仕込んだ。

japan


ただ、「炊飯器で焼きたい!」という意向だけはどうしても
尊重できず「お願いだから、オー ブンの予熱を無駄にせんで~」
と拝み倒し。 だってオーブンで15分程度のところを
炊飯器で2,3 時間!?加熱してたら、晩ご飯に差し障る。
(電気代もばかにならんだろ・・)
それにしても、炊飯器・レンジ・グリル・冷凍と、
パンはいったいどこまで進化?していくのやら・・?

力み
(このエッセイも「タバコ」と同じく、私的には載せたい!と
切望したのだが、「なんか内容が痛々しくて」と一蹴。
もっとかるーく読んでほしかったんだが・・)

今まで作っていたパンが、
ふっと思うように作れなくなるときがある。
あーでもない、こーでもないと、
パンのアラサガシをし始める。
ムキになって、これでもかと作っているうちに、
だんだん仇のように見えてくる。(いや、そこまでないか)
自分が好きでやり始めたことなんだけど・・・?
「何故できない?」「どこがいけない?」
問い詰めるように、パンに・自分のやってることに
詰め寄ってしまう。

そんな時、とりあえずちょっと脇にはずれて
何の為でも誰の為でもなく、ぷらぷらと
他所のパンを買いに出て、帰ったらへらへらと作ってみる。
すると、はっとする程おいしそうなパンが焼けたりする。

今までの苦労はなんだったんだ?自分が可笑しくなる。
しょい込みすぎた「自分」を肩からおろせば
気持ちがふと軽くなって、手足が楽に動き出す。
きっとこんなこと、パンだけの話じゃないんだな・・、と思う。

kobokanpa


タバコ
(このエッセイ、どうしても伝えたかった人がいて、
本に載せたかったのだが「パンに関係ないし、説教くさくて」
と一蹴された。無念・・。でも最近、子供と一緒の車の中で
一服してる親御さん、よく見かける。喫煙者も肩身がせまいんだ。
やめたいけどやめられない、そんなあなたに捧げます。)

「一本のタバコを吸うと、肺が元のきれいな状態に戻るのに1年かかる」
以前、新聞を読んでいたらそんな事が書いてあった。
その昔、自ら煙にまみれていた私の肺は、
もう、残りの人生では元に戻らないってことか・・。
そういえば忙しかった日の帰り道、未だに年に1度位、
車の中でふっと1本くわえたくなる瞬間、あるもんなあ。
やめてからもう十数年経つというのに・・。
ニコチン中毒はオソロシイ!

先日OPENしたお店の料理人とお話したとき、
かすかにタバコの臭いがした。
ひそかにガッカリした。
美しく盛った料理も、なんとなく平べったい味に思えた。

ありとあらゆる言い訳を排して、禁煙もまた
「やるかやらないか」だと思う。
(できると思うよ、私みたいな奴ができたんだもん。)
親ならば、家族のために
プロならば、お客様のために
大人ならば、子供達のために
子供は、自分のために(・・未来の子のために)
とりあえずその1本はポケットにしまって、
パンでも焼いてみませんか?

パンを作り、子を生んで育てる今でこそ、
あの時やめててよかったと、心から思う。
自分の五感と健康とお金を、あれ以上
ニコチンですり減らさなくてよかったと、
ホントに思う。

今日の日めくりの脇に書いてあったっけ。
「口は病の入り口・魂の出口」
確かに。魂をケムにまいちゃ、まずいよね。

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